バイトをしているそば&甘味のお店がある神社でお祭があったので夜の九時半までお団子を焼いたり、大学の講義が終わってから大阪に繰り出して高校時代の恩師の落語会に行ったり、母を無理やり連れ出してお能を観に行ったりしているへろんです。昨夜日記を書こうと思ったのですが、どうやらダイアリーノートさんの調子がよろしくなかったようで…。九月の日記は三日からと相成りました。
さて、久々にお能を観て泣きました。番組は『隅田川』。人攫いに子供を攫われた京の女が我が子を捜して隅田川までやって来ます。「名にし負はば いざこととはむ 都鳥 わが思う人は ありやなしやと」有名な『伊勢物語』の「東下り」に出てくる歌ですが、『隅田川』でいう「思う人」は勿論子供のことです。しかし、はるばる東国までやってきた母親を待っていたのは、我が子梅若丸を弔う大念仏と小さな塚だった・・・。塚の前で人々と共に念仏を唱える母親の耳に、我が子の声が聞こえてきます。「もうひと声聞きたい」と願う母親。この辺りからうるうるときてしまいました。一人子を亡くした母親のこの言葉。胸にくるものがありました。そして、そんな母親の前に梅若丸の亡霊が現れます。手にしていた鉦も取り落として、両腕で抱きしめようとする母親。しかし、それは母親の見ている幻。腕(かいな)に抱き取ろうとした途端、我が子の姿はかき消え、そこにはただ塚が残るのみであった・・・
親子の死別、殊に子を亡くした親の悲しみというのは、普遍的な感情のようです。それなのに、他人の子の命を奪う人間が未だに後を絶たないのは一体どういうことなのでしょうか。悲しいことです。
さて、久々にお能を観て泣きました。番組は『隅田川』。人攫いに子供を攫われた京の女が我が子を捜して隅田川までやって来ます。「名にし負はば いざこととはむ 都鳥 わが思う人は ありやなしやと」有名な『伊勢物語』の「東下り」に出てくる歌ですが、『隅田川』でいう「思う人」は勿論子供のことです。しかし、はるばる東国までやってきた母親を待っていたのは、我が子梅若丸を弔う大念仏と小さな塚だった・・・。塚の前で人々と共に念仏を唱える母親の耳に、我が子の声が聞こえてきます。「もうひと声聞きたい」と願う母親。この辺りからうるうるときてしまいました。一人子を亡くした母親のこの言葉。胸にくるものがありました。そして、そんな母親の前に梅若丸の亡霊が現れます。手にしていた鉦も取り落として、両腕で抱きしめようとする母親。しかし、それは母親の見ている幻。腕(かいな)に抱き取ろうとした途端、我が子の姿はかき消え、そこにはただ塚が残るのみであった・・・
親子の死別、殊に子を亡くした親の悲しみというのは、普遍的な感情のようです。それなのに、他人の子の命を奪う人間が未だに後を絶たないのは一体どういうことなのでしょうか。悲しいことです。
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