試験期間真っ只中というのに、雪が降りました。バスはいつもの倍近く時間がかかる可能性があった為、早めに家を出て途中から電車に乗り換え。おかげで10分前に着く事ができました。京都のこんな交通事情が憎くもあり、愛しくもあり。古きものも抱いたまま、近代化しきれずに中途半端で。古都に幻想を抱いてやってくる人々は夢打ち砕かれ、都人は不便さに辟易する。観光地として売りたいんなら、もっと色々対策するべきだと思う。行政が腐ってることは知ってるけど。


本日のBGMはGLAYのおニューのアルバム『Love is Beautiful』
『One Love』『The Frustrated』と並んで好きなアルバムになりそう。

老い

2006年7月4日 思うトコロ
私は果たして彼らのように親の年老いてゆく姿を受け入れることができるのだろうか?両親をみていて思いました。


たはむれに母を背負いて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず

啄木の歌より
 大学に入ってからあまり本を読まなくなってしまったのですが、その反動か、今とても活字に飢えています。こう、ぐっとその世界にのみこまれていくような、読み終わるまでご飯も睡眠も抜いてしまうようなものが読みたいです。

 趣味は読書と言い続けているくせに、興味をかきたてられないと自分から読もうとはしないので、しばらく読書生活からは遠ざかっていました。数時間で読み終わるような薄い文庫本程度ならば読んでいたのですが。友人に薦められた『彩雲国物語』も『ダヴィンチコード』もノータッチ。ハリポタ新巻もまだ読んでいません(家にはあります)。今現在読んでいるのは、あの大森貝塚を発掘したことで知られる、日本の考古学の父モースの日記『日本その日その日』。大変興味深く面白いのですが、読書をした気になれないのです。

 表現豊かで魅力的な世界観の小説が読みたい、おそらく今の私の欲求はこうなのでしょう。ここの所、簡単に世界に入り込める漫画ばかり読んでいたせいもあるかもしれません。笹沼さんご出演CDの原作(※)ばかり読んでいたせいかもしれません。とにかく文学的なものが読みたいです。ここはひとつ、『こころ』辺りを読み直してみるべきでしょうか?


※商業BLの作家さんのレベルはまちまちですが、どちらかといえば表現力の乏しい方の方が多い気がします。ネットで拝見する二次創作、fanfic の方が立派に見えて、この作家さんはこれで本当にお金を貰ってるの?と思うことが多々あります。ですが、なかには巧みに日本語を操る方もいらっしゃって、感嘆することもしばしばです。こうした差はどうしてでてくるのか?思うに、これはその人それぞれの読書歴が反映されているのではないか。人間、インプットされていないことはどう頑張ってもアウトプットできるものではありません。ですから、魅力的な文章を書かれる作家さんは、今まで多様な文学作品をたくさん読んでこられて、語彙も表現もストックが頭の中に大量にあるのだと思うのです。我が身を省みてみると、語彙力も表現力も乏しい。文学部生なのに、これではいけない。表現豊かな本が読みたいと思っていることの裏には、こんな理由もあったのでした。
昨日の続きです。

 私は、レセプション棟に着いた時から何か居心地の悪さを感じていました。美しく手入れの行き届いた建物と緑。そして美術館エリアまで送迎という対応。しかも電気自動車でエコっぽさを醸し出しています。純粋に「ええ空気やし、ええモン見れたし、ええトコ来たわ〜」(by団体のおばちゃん)という反応もできたのですが、従業員さんの「ここは桃源郷をモデルに設計されたんです。」という言葉がどうにも心にひっかかって、はなから懐疑的な目で見ていました。
 例えば、桃源郷がモデルだという美術館のある空間。電気自動車で空気も汚さず、うぐいすの鳴き声と美しい景観を楽しめるよになっています。しかし、一段下がって見ればどうでしょう。下の駐車場まで大量の自動車を集めて空気を汚し、山の景観を変えてしまっています。そもそも山を切り開いたのは美術館サイドであるのに、電気自動車を使用していかにも自然に配慮していますよというようなポーズを取られると、何とも胡散臭く感じてしまいました。
 「本当のような嘘」、「善のような悪」は在るが、「美のような醜」は存在しない。よって美しいものはすなわち全て善である、という考えの下つくられた美術館のようですが、美術館のある空間のみ綺麗に保とうとしているようで、人間というもののエゴを強く感じました。しかし、よくよく考えてみると「美しい」と感じるかどうかは各々の主観な訳で、自分が美しいと思うものを他人に提示することがエゴの押し付けになるという可能性もある訳です。あの美術館はそれが強烈に感じられたというだけなのかもしれません。ここまでダラダラ書いてきて結局何が言いたかったかというと、おもんなかった。ただそれだけです。

 
 幼い頃に読んだ本の話なので少し間違っているかもしれませんが、『果てしない物語(ネバーエンディングストーリー)』の中に、ファンタージェンの美しい港が出てきます。その港は、醜い生き物が自らの醜さを嘆いて流した酸の涙によって美しさを保っていました。しかし物語の後半、主人公のバスチャンが醜い生き物を哀れんで美しく変えてやると、もはや涙を流さなくなり、ファンタージェンのバランスは歪みだしてしまったのです。美しいものは、醜いものが存在するからこそ美しいのであり、美しいものだけが存在する桃源郷なぞありえないのです。美しいものだけが集まった世界があるとすれば、そこは虚言に満ちているに違いありません。
 本日、片道2時間かけて山奥の美術館に行って参りました。「どうしても見たい作品がそこに来てるから」とか「常設展にイイ物があるから」という訳ではありません。博物館概論の講義で必要だったからです。まぁ、課外授業といいますか…実地で見て体験しよう!みたいなものです。講師をしてくださっている先生がそこの学芸員さんなので、入館料は無料でした。おまけにバックヤードに入らせて貰って、色々見聞させていただきました。しかしですね、最寄り駅から50分山道を揺られて来たバスの運賃が800円だと知った時は心臓が止まるかと思いましたよ。往復で1600円、自腹です。勿論、最寄り駅までの交通費もかかります。お弁当持参してよかった…。洒落たレストランや喫茶スペースもありましたが、お値段が高かったので学生さんにはちと苦しかったですね。

 このミュージアム、山の中にあるだけあって緑が綺麗。おまけに建物や従業員の対応がホテル風。まず駐車場に着くと、整備員のお兄さんが丁寧に誘導してくれます。駐車場から少し石段を上がるとレセプション棟とかいう建物があって、そこにはレストランやショップがあり、そこでチケットを売っていました。レセプション棟のロータリーから伸びる、新緑の枝垂桜に囲まれた一本道を電気自動車に乗せられて(徒歩でも行けます)進み、トンネルを抜け、半吊橋を渡るとようやく美術館棟が見えます。なかなか景色の素晴らしい所です。この間、電気自動車を運転していたお姉さんに「お客様」と呼ばれひどく違和感を感じました。加えて、今日が休日だということを差し引いても多い入館者数にはびっくり。通常の人が抱いているであろう美術・博物館に対するイメージをひっくり返してくれます。美術・博物館の持っている公共性の部分よりも商業性の部分の方が前面に出ているように私には感じられました。バックヤードや学芸員さん達は違いましたが、その他多数いる制服の従業員さんの態度はどう考えても「お客様!」という感じ。近代美術作品のような吊橋と綺麗な風景に、ガラスを多用した明るい吹き抜けのエントランスも相まって、異空間というか、ある種の商業施設に来たかのような印象を受けました。入館者の集まり具合を見る限り、この美術館が商業的にある程度成功しているのは間違いないだろうと思います。
 それから、肝心の展示品なのですが、少し中途半端な印象を受けました。「美しいもの」を集めたということらしいのですが、一貫性がないというか、テーマが見えないというか…学芸員の方もどうやって展示しようか非常に困ったとおっしゃっておられたくらいです。所謂「集まっちゃった」型の美術館なわけですが、見ていて疲れます。アケメネス朝時代のペルシャの装身具とか確かに美しいことは美しいんです。でも、その他のコレクションが南アジアの仏像だったり、ギリシアローマの浮彫だったり、殷の青銅器だったりするわけですよ。私はどうしてもその物が使われていた場所や時代、方法など色々と想像しながら見てしまうタイプなので、純粋にその物の美しさだけを楽しむことができませんでした。同時代のモノを集めるとか、同系統のモノを集めるとか、もっとこう博物館的な展示をして欲しかったです。建物や景観といったハード面とサービスが素晴らしかっただけに、コレクションが微妙だったのが残念でなりません。

以上が直接的な感想で、以下感じた、考えたことをつらつらと書きたいのですが眠気が勝っているので、明日続きを書きます。

人の記憶

2006年5月17日 思うトコロ
 最近、この広いネットの海の中で、幼稚園・小学校時代の同級生に出会いました。私が当時の同級生をほぼ覚えていると言うと、「覚えてないよ、ふつう」と言われ、少し考え込んでしまいました。まぁ、彼の方から声をかけてくれたので、彼も私のことを覚えていたということなのでしょうが…。
 私は小さい頃の記憶が比較的よく残っている方です。同じ事を経験している姉が忘れてしまっている事でも詳細までよく覚えていて、「よく覚えてんなぁ」と驚かれます。友人達と小さい頃の話になった時も同様に驚かれます。逆に私からみれば、「何で全く覚えてないの?」となる訳ですが、この違いについて自分なりに推論してみると、以下のような結論にいたりました。

・「忘れて」いるのではなく「思い出せない」だけ
・思い出す為のシナプスがしっかり繋がっているか否かが問題
・シナプスを繋げておくには思い返すことが肝心
・私はよく写真やビデオを見ては色々思い出していた
・だから私は昔のことをよく覚えている

 嫌なことの多かった小学校高学年や中学時代は防衛本能のせいかあまり思い返すことがなく、記憶が曖昧な所が多いです。あと、覚える気力のなくなった最近は物覚えが悪くて困ります。特に人の顔と名前を覚えるのが苦手でして…。どなたかよい方法をご存知の方、おられませんか?
 昨日は誕生日でした。昨日の私と今日の私で何か変わったかと言われれば、人間的には何も変わっていません。けれど、法律的なことは色々変わりました(多分)。両親の保護の下を離れて、お酒が買える様になりました(そこか!)。これからは様々な責任が直接自分にかかってきます。大人として恥ずかしくない人間になれるよう、よりいっそう精進していきたいと思います。以上、決意文でした。

今日はこれから院生の方のおうちにお邪魔しに行きます。私は考古学に進む気はないのですが、友人が興味を持っているのでその関係で。楽しい人なので、とても楽しみです。
 「生まれてきてくれたことに感謝する。」という表現は大嫌いなのですが、よくよく考えてみると私が生まれてこうして存在していることは凄い事ですよね。両親が生まれ、出会う確率。そして私が生まれる確率。私は次子なので、その確率はかなりのものですよ。姉が生まれていなければ私になる予定の卵子が下りて来る時期もずれていたわけで。いや、その卵子自体が出来上がっていなかったかもしれない。人の誕生は偶然の積み重ねによって起こるのですね。或いは、偶然という名の必然なのかもしれません。
 風邪から立ち直り(治り)つつあるへろんです。まだちょっとエヘン虫がのどから離れないのですが、体調はすっかりよくなりました。代わりに母がへばっています。風邪はうつせば治るとよく言いますが、あれはおそらく、治りかけの頃に他人にうつって、治った頃にその人が発症する、という様子を見て言われるようになったのだと思います。母は強い人なので、明日にはピンピンしているでしょう。私もその強さが欲しい…。

 本日カテキョのお月謝を頂いて、ほんの少し懐が温かくなりました。お運びもしたので、今月はいつもよりちょっとばかり収入が多くなりそうです。その代り、支出も多くなりそう。草履と帯は気に入ったやつを自腹で買っちゃったし、まだ帯揚げも欲しいし…。あと、笹沼さん関係のものも。もし私がゲームをする人だったら、間違いなく赤字でしょうね。色んな作品にご出演されるのは嬉しいのですが、できれば視聴するのにお金のかからない地上波放送のアニメに出て欲しいなぁ、なんて思っております。東京の方ではゲーム関連でイベントに出られるみたいで、首都圏の方が羨ましい限りです。旧首都圏ではそう簡単にイベントは開かれませんから。

 メディア、情報の一極集中は多くの危険を孕んでいる、なんて言ったらただの妬みにしか聞こえないやもしれません。しかし、もし東京が何らかの理由で壊滅的な打撃を受けたとすれば…?地図上で見れば日本列島全体の十何分の一程度しかない一地域がやられただけで、日本中が大混乱に陥るのは目に見えています。だから、首都機能を分散するか、第二の首都とも言えるような都市を育てるべきなのでは…等と考えてしまいました。そういえば、首都移転計画なんて話もありましたっけ。結局うやむやになって、首都はずるずると東京のままですね。せめて天皇陛下くらい京都に還してくれてもいいのに…

眠る能面

2006年3月21日 思うトコロ
 どこかのサスペンスドラマかミステリー小説のようなタイトルですが、それとは全く関係ありません。ちょっと先生のお話に感銘を受けまして…。

 お舞台でつかわれている面(おもて)には、数十年前に作られた新しいものから、数百年前に作られた、それこそ博物館に収蔵されるようなものまで色々にあります。その個性も豊かな面々(文字通り…)は、どれも同じく大切に扱われていて、数百年も前の貴重な面だからといって、誰も触れられないようにとガラスケースの中に飾るというようなことはしません。今も現役で活躍し続けています。
 しかし、博物館に収蔵されている面もあります。勿論それも素晴らしい面なのですが、先生のお言葉をかりれば「眠ってはる」表情をしているのです。現役でお舞台に立つ「起きてはる」面と比べて、輝きが違うのです(朽ちるのも早い)。住む人のなくなった家は荒れるといいますが、それと同じ様なことが能面にも言えると思います。そして、その他の文化財についても。
 仏像が、真っ白い内装の建物の中で、ガラスの向うに並んでいるのを見て信心が起こるでしょうか?そうではなく、薄暗い木造の建物の中、線香の香りに包まれてはじめて、手を合せたい気持ちになるものだと思います。バックグラウンドから切り離され、そのものだけが展示されていても、本当の姿を知り得ないし、あわれなだけです。文化財といわれる古い物品との付き合い方を、今一度考え直してもいいのではないでしょうか。

 ・・・なんて博物館に喧嘩を売るようなことを考えている私ですが、学芸員の資格を取ろうとしております。資格を取ったって、空きがないんですけどね。
 池小の事件からもう四年以上経つんですね。その間に大学が法人化して教育学部附属から大学附属に変わったり(名称が短くなって書き易くなった)、統廃合の話があったりなかったりしましたが、あの年頃の四年という年月の大きさを考えると、子供に先立たれた親御さんの無念はいかばかりかと思います。

 うちの親にも常々「親より先に死ぬなんて親不孝なことはしないで」と言われているのですが、私はいつも「親が死ぬのは見たくない」と答えて呆れられています。祖父が死んだ時でさえあんなに悲しかったのに、自分の親が死ぬ悲しみなんて想像できません。大切な人が死んでしまうなんて嫌です。かけがえのない人の死を受け入れられるほど、私はまだ大人ではありません。歳を重ねての順当な死ならばまた多少違いますが。

 そこで、親と私の望みを考え合わせた妥協案が「親が死んだ一秒後に私も死ぬ」でした。心中ではなく、ですよ。そうなれれば(今の)私は幸せです。葬式などは全て姉妹に任せて、心安らかに昇天できます。・・・なんて言ってますが、生への執着は結構強いので、なんだかんだで多分長生きすると思います。その頃には親離れもしてるだろうし。って、もうしてなくちゃおかしいのに。はぁ、ダメな子だ、私。
へろんが密かに敬愛する、嘉門達夫さん。皆さんもご存知の筈。私は谷山浩子さんの「おはようクレヨン」や「しっぽの気持ち」、他にも「おさかな天国」といった曲と並んで嘉門達夫さんの「アホが見るブタのけつ」「ヤンキーの兄ちゃん」「小市民」等を聴いて育ちました。中学校のお昼の放送でも「替え歌メドレー」が流れていたりして、知らず知らずのうちに彼の笑いのセンスが染み付いてしまっているようです。なので、あるフラッシュを見た時には文字通り抱腹絶倒してしまいした。ネットは面白いところですね。

そういえば、数年前に「おさかな天国」が流行りましたけど、あれ、私が幼稚園の頃(十数年前)からありましたよね?私は送り迎えをして貰う車の中でカセットをかけていた記憶が強いのですが、スーパーでも普通にかかっていたような…。突然流行りだした時に『何でいまさら?』と思った私は少数派なんでしょうか。皆さんあの時が初聴きだったのかしら?一気に流行させてしまうメディアの力って凄いですね。
 先日、部活の合宿に行ってまいりました。京都の大原に。あんな所でも京都『市』左京『区』なんですね…。市バスは通ってませんが、旅館の送迎バスで市街地に出るまで二十分もかからないので、確かにそんなに遠くに来たという感じはしませんでした。ところが、景色を見てびっくり。雨の日だったということもあるのですが、深く霧のかかった山間といった風情なのです。大原の名物が柴売りの大原女(おはらめ)や柴漬けなのも頷けます。それから、昔大原女が柴を頭に乗せて京へ売りに行ったというのを、私は昔の人ははるばる大変なことをしていたんだな、と感心していたのですが、この距離なら可能だと納得しました。今の中国の奥地の方がずっと大変な気がします。

 歴史に限らずですが、自分の頭の中で想像していたものが、実際にその場に行って確かめてみると、全くの見当違いであったということがよくあります。逆にとれば、その土地に行ってみないと其のものが持つ本当の意味を理解しきれないのだ、とも言えます。己の豊富な知識に満足してしまった時、この事実は自分を戒めるのに有効です。そして私の旅心(?)を刺激するのです。
 西洋史の講読の試験で、『History Today』から日本史について触れているテキストが出されたのですが、その試験中のこと…。

「デート マサムネ?政宗の日?はぁ?」

と、途中で意味が分からなくなり手が止まってしまいました。そこには確かに Date Masamune とあるのです。え、でもこのofは同格のofだからvassal=Date Masamuneでしょ?とか色々考えていたのですが、なんのことはない、伊達政宗のことでした。家康もややこしく、Ieyasuleyasuに見えたりして、辞書を引きそうになりました。

 英文の中で日本名が出てくると、読み方に惑わされてしまいます。実際、日本語圏外の人は初見でどう読まれるんでしょうか?やっぱり「デート・マサムネ」?非常に気になります。

重婚

2006年1月27日 思うトコロ
 何故重婚がいけないのか。それは欧米から文明国と認めてもらえなくなるからです。彼らの顔色を窺わないと、どうしてもやっていけないんです。後は、法律が煩雑になるから?近代自由主義においては重婚は認められないんですよね。
 私に言わせれば、一夫多妻は別に構わないと思う。というか、動物としての繁殖を考えた時、それが一番効率が良いと思う。現代の日本社会にはそぐわないから、法律で認めろとは言わないけれど。昔から権力者は側室を何人も持てたし、それ以外の一般庶民は一夫一妻。力ある者、つまり強い奴がより多く繁殖の機会を得て、子孫を残せる訳です。裕福なお家にお妾さんがいるのだって、金のある者、すなわち勝者だからだと思うのです。
 ここで勘違いして欲しくないのは、私は別に女性の人権を蔑ろにしたい訳ではないということです。一夫多妻だからといって女性を物のように扱って良い訳ではないし、女性側の意見を無視して良い訳でもない。ただ、一夫多妻には一夫多妻なりの夫婦の関係があって、その妻達が皆不幸だと決め付けるのは良くないと思うのです。持統女帝が不幸であったか?濃姫が不幸であったか?そんなことは分かりません。定規の押し付けだけは、避けたいものです。

 あのおっさんは催眠術使ってるから犯罪でしょうね。
 言わんこっちゃない。スキーヤーにボーダーが後方から衝突し、スキーヤーが死亡するという痛ましい事故が起きました。スキー場に行く度に私が感じていたあの恐怖感は、間違っていなかったようです。
 前を向いて滑走するスキーヤーと違い、ボーダーは体は横向き、上体だけ前に捩って滑走します。自然、視界は体の向いている方向に開け、お尻のある側はほとんど見えなくなっている筈です。その死角に他の滑走者がいたとしたら、どうなるか。滑走方向が交錯して衝突するか、いきなり目の前に現れた人に対応しきれずにそのままぶつかるかです。(同じ事か?)
 今回の事故がどのような状況で発生したのか詳しいことは知りませんが、ボーダーやスキーヤー自身の意識だけでなく、スキー場側にもこうした事故を防ぐための更なる対策を求めたいものです。
 最後に亡くなられたお子さんのご冥福をお祈りして。合掌。
 先程スキーから帰ってきました。初めての東北。いつもは長野か北海道なんですが、今回は温泉でゆっくりしながらスキーを楽しみました。楽しんだツケは明日明後日に徹夜レポートという形でまわってくることでしょう。

 ところで、スノーボードが流行りだしてもう何年にもなるわけですが、いまだにボーダーのマナーの悪さが目に付きます。一時に比べてコースの真ん中で座り込む人は減りましたが、集団で滑走したり(傍を通られると本気で怖いです)、コントロールできないのに滑走して他人を巻き込んだり、といった姿をよく見かけます。ボーダーは基本的に若者なので周りが見えていない人が多いのかもしれません。しかし若いからといって許される問題ではないし、事が起こってから気を付けるのでは遅すぎます。今回も妹が二回、後ろからボーダーに衝突されてヒヤッとしました。来シーズンこそ安心して滑走できるように、ボーダーの人達のマナーの向上を切に願っています。

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